今回は木鶏丸が就航した年(2002年)7月からの常連さん
上田様にお願いしました。

当初、竿釣りで大鯛を狙っていた上田様。
昨年、6月から手釣りに切り替えられ 大鯛を何枚も釣り上げられました。
脳梗塞という大変重い病気を克服されましたが 現在でも右手の感覚は無いと言うことです。

物事に対してすぐに「あきらめる」 折角、途中までやり掛けているのに「俺には出来ない」
と言う人や「すぐにやめてしまう」人が多く見られる中、「たかが 魚釣り」ではありますが
真剣に取り組む姿、 水深90m〜130m前後を手で上げるのは誰でも大変ですが
右手が思うままにならないものの 「右手のリハビリ」と言いながら
最後の最後まで粘り、諦めない所 等々、船上では、大変勉強させられます。
(上田様はいつも前向きな姿勢で「ねばり、諦めない」 と言う人生を
送られて来たのだろうなと、私は勝手に思っています。)

そんな上田様のテンヤの魅力 どうぞ お読み下さい。

                                   木鶏丸


上田様 船上でお友達になった 村上様とご一緒に


『テンヤ釣りに魅せられて』

平成16年5月吉日


子供の頃から釣り好き)

 小学校の頃、1日5円、10円の小遣いを貯めて釣針、ウキ、スジ等の道具を買い、
 前日、那珂川の河口で水ゴカイを掘り、当日早朝、親に内緒で朝食も食べず、
 弁当も持たず、日暮れまでハゼ釣りを楽しみ、帰宅して危ないと親に叱られるの事
 度々でした。

 社会人になってからは約3年に1度の転勤先でも赴任した初の休日になると
 引越し荷物もほったらかしにして、釣り場捜しに1日車走らせて居りました。

 その頃は 釣る魚は何でも良く、選り好みはしなかったのですが、大阪に居るとき
 3年間は筏や防波堤、埠頭でチヌ釣り1本に絞込み楽しみました。

 しかし、35p以上のチヌは釣ことは出来ませんでした。

(木鶏丸を捜し当てた喜び)

 平成7年脳梗塞で右半身麻痺と言語障害で5年間は釣りはできませんでした。
 退職後、平成14年郷里の福岡へ戻り、重い道具を持っての移動は大変だから

 早速 遊漁船捜しをしました。7隻の釣船を経験し「テンヤの木鶏丸」を知る事が
 出来ました。 私は右手麻痺の為、竿に電動リールで鯛釣りに挑みましたが、

 中々巧く釣れません、船頭の梅津さんより手釣りに変えませんかと度々言われて
 居りましたが、リールでも釣れると言う信念の基で数回挑戦しました。


 

(テンヤはやっぱり手釣りに限る)

 私一人が坊主の時、船全体で40匹釣果、ある名人は一人で9匹も釣っているのを
 目の当たりにして、私も手釣りに変更して約10ヶ月、当初、鉛30号でも中々底が
 確認出来ず、船頭さんや名人よりご指導を受け、潮の流れで大同小異は有りますが、
 最近は鉛15〜18号で80%の確率で底取りが出来るようになりました。
 釣果もよくなり、お土産もそこそこ増えて来て居ります。

 木鶏丸の梅津さんより「テンヤ釣り」のテーマでレポートの依頼がありましたが
 まだ、
65cm3.7kgの実績しかなく恥ずかしい限りです。

(木鶏丸でテンヤ釣りに夢中になった訳)

 1、 テンヤ釣りのテクニックの奥行きの深さ。

 2、博多湾の遊漁船では1番スピードのある60km以上で走行、
   ポイントまで他の船より半分の所要時間、釣船とは思えないゆったり船内

 3、船頭さんの人柄。初心者へ一人一人指導、釣客への気く張り
   真鯛のポイント捜し、接して楽しい等々

 4、
客筋の良さ。親友、知人を得ることが出来、船上以外でのお付き合いも
   しばしばです。



 以上取り留めない事を書きましたが、テンヤ釣りの研究はまだまだ続きそうです
 
今年は80cm以上の真鯛を目標に木鶏丸にて玄界灘へ打って出ます。


 追伸

  「テンヤ釣りのテーマ」が、内容は「私の釣の履歴書」になってしまって
  申し訳御座いません。

                              上田 正典


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